歴史は変わっていたかも?

 皆様、お疲れ様です。本日の一迫は秋晴れの気持ち良い一日となっております。

 さて、昭和の大スター菅原文太さんは、父の出征に伴い、小学校4年生から実家のある当時の一迫町に疎開しました。旧制築館中学校卒業まで過ごし、その後学制改革により仙台一高に、大学は早稲田大学に進学いたしました。

 大学在学中にモデルとなり、劇団四季の1期生として入団しますが、その際に大叔父様が学業に専念させるため、文太さんを説得するよう東京に親戚2人が派遣されたという一迫では有名な話があります。

 当時の大叔父様は親戚内のカリスマ的存在でありましたが、派遣された2人は逆に文太さんに説得され帰ってきてしまったそうです。もちろん、大叔父様の思いに屈してしまえば、文太さんという大スターは誕生していませんでした。

 写真は上から1枚目、2枚目が昭和58年6月に来町された際のあやめ園での記念写真。3枚目はその数年前に来町された際に、当時の一迫町役場職員との記念写真です。